そもそも「主体的である」とは?
「主体性」は、職場の会話やビジネス本、セミナーなど、いろいろな場面で耳にする言葉です。しかし、「主体性を発揮しよう!」という一方で、主体性という言葉自体は曖昧なイメージで使われがちです。本章では、『7つの習慣』をもとにして、「主体性」「主体的である」とはどういうことかを解説します。
「主体的である」の定義
「主体的である」という言葉にどんなイメージを持つでしょうか。一般的に「自分から率先して行動すること」「自ら考えて行動する」といったイメージでしょうか。『7つの習慣』では、主体性を、「自ら選択し、選択したことの責任を引き受けること」と定義しています。
出典:スティーブン・R・コヴィー
「主体的である」ということをより深く理解するために、以下では、「主体的である」の反対となる「反応的である」という概念、そして、主体的な人の特徴である「刺激と反応の間にスペースを空ける」を解説します。
「主体的である」の反対となる「反応的である」という概念
「主体的である」とは反対に、自分は選択せずに状況に流されるという態度を「反応的である」と言います。反応的な人とは、「周りの状況に影響を受ける人」です。
反応的な人は、「天気が悪い」「自分が応援している野球チームが負けた」「自分の意見に反対された」といったことにいちいち反応して機嫌を悪くします。また「景気が悪いから」「上司が理解してくれないから」「〇〇さんの仕事が遅いから」といった形で状況に対する責任を周囲のせいにします。
反応的な人は、自分の人生をコントロールせず、コントロールする力を周囲や他人に委ねています。また、反応的な人は物事がうまくいかないと周囲のせいにして苛立ちます。その精神状態は周囲にも伝播して、場の雰囲気を悪くするとともに、周囲からの信頼を徐々に失っていきます。
主体的な人が実践する「刺激と反応の間にスペースを空ける」
主体的な人は、反応的な人と異なり、周囲の出来事にいちいち振り回されません。
日常生活ではさまざまな出来事(“刺激”と呼びます)が起こります。刺激の中には自分にとって都合が良いもの・悪いもの、興味や関心があるもの・ないものなど、さまざまです。主体的な人は、つい感情的になりそうな刺激に対しても、まず深呼吸して自分を落ち着かせ、気持ちを切り替える習慣が身に付いています。
朝起きて雨が降っている日でも、天気を変えることはできないと知っているので、無駄にイライラすることはありません。たとえ電車の中で足を踏まれてしまうことがあっても「混んでいたら、こういうこともあるさ」と落ち着いてとらえて、苛立ちを押さえ、ネガティブな感情を引きずったり、周囲に発散したりすることはありません。
主体的な人は、なぜ周囲の出来事に反応せずに過ごせるのでしょう。理由は、主体的な人は「刺激と反応の間にスペースを空ける」習慣が身に付いているからです。「刺激と反応の間にスペースを空ける」とはどういうことでしょうか。
人間以外の動物は、周囲からの刺激に対して、限られた反応を取ることしかできません。
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しかし人間は、刺激に対して、「反発する」「理解しようとする」「嫌になって逃げだす」「諦める」「捉え方を変える」など、どう反応するかを自分で選択することができます。
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人間は「刺激に対してどう反応するかを選択する」能力を生まれつき持っています。
1.自覚 ……自分自身の状態や思考を客観的にとらえる
2.想像力 ……自分の反応した結果などを想像する
3.良心 ……物事の善悪を判断する
4.自由意志 ……自らの意志で反応選択する
主体的な人は、人間が持っている刺激に対して反応を選択する力を上手に使いこなします。感情的になりそうなときにも、「感情的になっている自分を自覚し、感情のままに行動したときの結果を想像し、その行動の善悪を判断したうえで、自分の意志で行動を選択する」ということを実施しています。
主体的な人も人間です。不都合なことや思い通りにならない場合に感情が苛立つこともあります。しかし、主体的な人は、刺激と自分の反応の間に“スペース”を空けます。別の言葉でいうなら、自分自身を“一時停止”させます。そして、スペースを作り一時停止している間に、自覚・想像力・良心・自由意志を働かせて、行動を選択するのです。
『7つの習慣』の著者、コヴィー博士は下記のように言っています。
*出典:『完訳 7つの習慣』スティーブン・R・コヴィー
私たちの人生には、辛い経験や悪い出来事も起こります。しかし、コヴィー博士が言うように、出来事にいちいち反応する生き方をしていれば、自分自身を傷つけてしまうことになります。「刺激と反応の間にスペースを設け、自分の行動を選択する」ことが主体的であるということであり、より良い人生を送るうえで不可欠な姿勢です。







