「釜石の奇跡」に学ぶ想定外を生き抜く力
いつも大変お世話になっております。
株式会社ジェイックの梶田です。
間もなく、あの東日本大震災から丸9年がたちます。
死者1万5898人、行方不明者2531人という、
非常に痛ましい被害を被ることになりました。
(2019年9月11日時点「警察庁」)
被災された方やご親族の皆様には、謹んでお悔み、
お見舞い申し上げます。
この震災は、非常に多くの被害とともに、現代に生きる
我々に多くの教訓も残すことになったと思います。
とりわけ“釜石の奇跡”と謳われるエピソードは、
我々、組織を率いるマネージャーにとっても学びがあります。
…
岩手県釜石市は津波による甚大な被害を被りました。
しかし、市内に住む3,000人近い小中学生のほぼ全員が
避難し奇跡的に無事だったことが“釜石の奇跡”として、
語られています。
津波により最も甚大な被害を受けたのが沿岸部に位置する
鵜住居(うのすまい)地区という町でした。
しかし、マグニチュード9.0の地震発生直後、
同地区の釜石東中学校の生徒達は、各々が直ちに
一目散に高台をめがけて走ったそうです。
彼らが目指したのは自治体が想定するハザードマップ
(災害予測地域)の区域を大きく超える高台でした。
中学生たちは年下の児童達を助けながら走り続けたそうです。
彼らを見て近所の鵜住居小学校の児童や先生達もあとに続き、
さらには多くの住民もそれに倣ったそうです。
結果、市内の小中学生の生存率は99.8%でした。
そもそも、三陸地方は、むかしから何度も津波の被害に
襲われてきた地域です。
その教訓で、
釜石市には国内最大規模の防波堤が築かれていました。
防災ハザードマップ(災害地域)は、その防波堤も計算に
入れられて設定されていました。
しかしながら、3.11の津波は、その想定をはるかに
越えたものでした。
釜石東中学校の生徒たちが、その”想定外”を超えて、
各々が、率先して避難行動が取れたのは、
東京大学大学院情報学環 特任教授、片田敏孝氏による
「防災教育プログラム」の成果です。
元々、河川洪水防災の専門家だった片田教授は、
2004年インドでおこった津波災害を目の当たりにして、
日本の沿岸地域での防災教育を推進してこられました。
片田教授が子供たちに教えたことは大きく分けて3つ。
教訓1.想定にとらわれるな!
(過去の産物であるハザードマップを信じるな)
教訓2.最善を尽くせ!
(自分と他人の命を守るためのベストをつくせ)
教訓3.率先避難者となれ!
(様子を伺うな、同調するな、自分の命は自分で守れ!)
過去の慣習に囚われない、この教育プログラムが
被害の大きなこの地区で99.8%の生存率を生み出したのです。
最初、片田教授は、
津波の危険や経験にさらされていた三陸地方の子供たちに、
「津波がきたらどうする?」と訊いたところ、
「親が逃げないなら逃げない」と答えたのを聞いたそうです。
その時から、
”子供たちが自分で自分の命を守れる”ように、と強く思い、
その為の教育プログラムが実を結んだわけです。
子は親の背中を見て育つものです。
震災発生当時、釜石東中学校の生徒は、多くは学校にいて、
親元を離れていました。
その結果、彼らは、片田教授のプログラムに従って、
各々が率先者となり、先生や地域の大人を高台まで走るように、
けしかけたそうです。
もしかすると、彼らは大人の管理下にいなかったことで、
率先者としての行動がとれたかもしれません。
…
皆様の会社、組織ではいかがでしょうか?
過去の経験を基にマネジメントをしていても、時として、
状況は過去を超えてきます。
今回の新型コロナウィルスも”想定外”の事態でしょう…。
”想定外”を超えるには、”予測と準備”が必要であり、
それが個々の率先力となったことを、この物語は教えてくれます。
「マネジメントとは、予測力と準備力である」、
ということが言えそうです。
いかがでしたでしょうか。
私共ジェイックでは、今後も
変化する環境や不測の事態でも、自らが率先力を発揮する人財と
組織形成を実現する組織たりえることを目指し、その結果と教訓を
皆様にご助言できるように、まい進致してまいります。
引き続き、どうぞよろしくお願い申し上げます。
株式会社ジェイック
教育事業部ゼネラルマネージャー
梶田 貴俊