いつも大変お世話になっております。
ジェイックパートナー講師の梶田です。
2019年の夏から毎月お届けしてきたこのメルマガですが、
今回をもって、私は、卒業させて頂くことになりました。
これまでお読みくださった皆様、誠にありがとうございました。
私は、2012年に40歳でジェイックに転職し、
「7つの習慣®」のインストラクターになり、以来多くの企業様に
研修をさせて頂いています。
「7つの習慣®」では「ミッション・ステートメント」なるものを
書き上げるというパートがあります。
ミッションとは「使命」、ステートメントは「文章」、
それは言うなれば「自分自身の生き方の指針」です。
現在は20歳になる息子が、中学2年生の時、私にこう聞いてきました。
“働くってどういうこと?”
私は、その時、自分自身の仕事の内容よりも、亡くなった父親の姿を
思い出しました。
…
父は「紙器(紙製の包装容器)」を製造する町工場を経営していました。
自宅兼工場を借り、父子家庭でしたので、兄と3人で暮らしていました。
主に陶磁器メーカーからの孫請けのような仕事で、
40坪程の手狭な工場に、わずかですが大型の機械が並んでいました。
入り口から工場までの通路には原材料となる真っ新な段ボールと、
切りくずを入れる大きな麻袋が並んでいました。
毎日、夜遅くまで機械を動かして働いても生活はギリギリでした。
“今月もヤクテ(約束手形)か…”
取引代金は現金ではなく殆どが手形で、恨めしそうに呟いていました。
…
そんな父の姿を思い出し、私は、息子にこう答えました。
“仕事というのはお金を稼ぐことだ。
それは、お前たち家族を養うことに繋がる。
たくさんの人がそのために働いている。
でも、それだけじゃダメだ。
毎日、少しでも喜びを感じること。
お客さんから「ありがとう」と言われることや、
一緒に働く人と笑い合うこと。
そうやって、心の面でも豊かになること。
それが、働くってことだと思う”
息子は「ふーん」とだけ返事をして、自分の部屋に宿題に行きました。
翌朝、息子の勉強机を見てみると一枚の紙が置いてありました。
「家族の職業についての感想を書いてみよう」と印字された紙には、
鉛筆書きでこう書かれていました。
“仕事というのは、朝早く起きて、夜遅くまでずっとで
すごく大変だなと思っていました。
でも、そういう大変さの中から喜びや楽しさが得られるという事が
分かりました。
ぼくたち家族のためや、お客さんのために、毎日大変だけど、
がんばってくれているので、感謝したいし、
これからも頑張っていってほしいと思いました。”
それを読んで、私は、自分の「ミッション・ステートメント」を
こう書き換えました
「できるだけ多くの人たちに、
経済的な豊かさと心の豊かさを与え続ける」
…
最近、父の姿をよく思い出します。
ちょうど今ぐらいの時期、年末になると夜遅くまで残業をしていて、
パートのおばさんが帰った後、兄と私は工場での作業を手伝わされました。
父は、くわえタバコでダンボ―ル紙を加工していきます。
工場内には、ガチャン、ガチャンという機械の音の隙間から、
ラジオの歌謡曲が聞こえてきます。
石油ストーブの上でシュンシュンというヤカンが沸騰する音もします。
冷たい板張りの床に、せんべいのような座布団を敷いて座り、
兄と私は、互いにちょっかいを出しあいながら、父が加工した紙器を
組立て、それらをまとめてビニール紐でしばっていきます。
冷たい紙をずっと触っていると、まるで指紋がなくなるような感覚で、
なんども指に息を吹きかけたり、ストーブにかざしたり。
いつ終わるのか、何度もそれを父に訊くのですが、「まだまだ」としか
答えてくれません。
ため息をつきながらダラダラと作業をしていると、バイクの音がして、
「こんばんはー」と近くの定食屋のおじさんがジュラルミンの岡持ちを
持って入ってきます。
「めしにするか」
父はそう言って自分も床に座布団を敷き、3人向かい合って座ります。
機械オイルやタバコのにおいが染みついた工場の中で食べたラーメン。
それはとても暖かくて、優しい味でした。
食事の後ストーブのやかんで入れたお茶を入れてくれた父の姿は、
記憶では、とても大きく見えました。
働くということの、私の原体験は、あの小さな工場の中にありました。
その記憶は、今となっては、私の心に豊かさをもたらしてくれます。
最後までお読み頂きありがとうございました。
これからも心豊かに働いて参りたいと思います。
皆さまのご健勝と貴社のさらなるご発展をお祈り申し上げます。
株式会社ジェイックパートナー講師
梶田 貴俊