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従来のピラミッド型組織が抱える「画一的なキャリア観」や「役割の固定化」といった課題は、持続的な価値創造を阻む壁となりつつあります。
2027年で開業から100年を迎える、地域社会のインフラを支え続けてきた小田急電鉄株式会社は、社員一人ひとりが自らのキャリアを「自分ごと」として捉え、それぞれの個性を業務や組織の活力へつなげていく組織変革に着手しています。
運転士や技術職といった高い専門性を尊重しながら、いかにして自律的な人財を育み、AI時代にも通用する組織へと進化させていくのか。小田急電鉄株式会社 人事部長 内海健史氏に、『HRドクター』を運営するジェイックグループの株式会社Kakedas 代表取締役社長 竹長が、お話を伺いました(以下敬称略)。
<目次>
「自ら描き、動く」組織へと変革した背景
安全・安定・安心な輸送サービスを提供するために
竹長貴社は、2027年に「開業100周年」という節目を迎えられます。運輸企業として守り続けてきた社風や理念、現在の主な課題についてお聞かせいただけますか。
内海小田急電鉄は鉄道事業を中心としながら、多角的なサービスを展開している企業です。運転士や車掌、駅係員、そして線路や車両の保守点検を担う技術職など、現場の最前線で活躍する鉄道従事員が組織の大きな比率を占めているのが特徴です。人財育成においても、鉄道従事員がいかに成長していくのかが重要なテーマの一つとなっています。
当社の根幹は、安全・安心な輸送サービスを安定的に提供することであり、これを実現するために、誠実で真面目、融和的な人財が数多く在籍しています。
こうした社風は、開業100年を迎えようとしている今も変わりません。安全・安定を優先するために、「決められたことを、決められた範囲で、決められたルールで行う」ことを重要視していますが、さらなる人財育成や価値創造を目指す上では、そういった風土を守りながらも、枠組みにとらわれず自ら考え、動く姿勢も必要だと認識していました。
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「価値創造型人財」の育成
竹長貴社では、人的資本の最大化に向けた重要テーマとして「地域・社会に価値を創造し続けられる人財の育成」を掲げています。 現在、取り組まれている変革について、最終的な目標や取り組みの方針をお聞かせいただけますか。
内海当社は、地域社会へ価値を創出することを経営の軸に据え、多角的に事業を展開してきました。その実現を担う人財として「価値創造型人財」という像を定義しています。
「学び続けること」「周囲に共鳴すること」、そして「共に新たな価値を創り出すこと(共創)」を行動原理として打ち出し、組織全体に浸透させるための取り組みを行っています。地域への価値を生み出していくことと、社員一人ひとりの日々の行動を結びつけているのが、当社の人事制度の特徴です。
竹長貴社は近年、様々な人事系アワードで表彰を受けています。前述の課題感や目標に対して、どのような施策を実行されてきたのでしょうか。
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内海環境変化の激しい時代において、地域社会へ価値を提供し続けるためには、適時に物事を捉え、必要に応じ共創しながら事業を構想する力が求められます。そうでなければ企業としての存続は難しく、ひいては地域社会との持続的な関わりも断たれてしまうでしょう。
そうした背景から経営戦略の舵をとり直し、2017年度より全社員参画型の「未来創造会議」を始動させました。この会議は、各社員が中期経営計画や部門方針などについて、対話を通じて主体的に参画する取り組みです。
それまでの方針策定は、経営層をはじめとする上位職が内容を精査・決定し、それを組織に浸透させる形式が一般的でした。しかし、未来創造会議の設置以降は社員が自ら意見を述べ、実現したいことを発信する取り組みを推進してきました。
「対話」をキーとした人財育成の推進
地域社会へ価値を提供し続けるため「対話する文化」を強化
内海当社の組織体系としては、特に鉄道事業においては、上位職が権限と責任を持って指示を出し、現場が動く「ピラミッド型」で、事業特性上、上意下達の風土が馴染む場面が存在します。
そのため、役職の上下を越えて対話の場を設けることは大きな挑戦でした。しかし幸いにも当社には以前から「対話する風土」が存在していました。「未来創造会議」などの取り組みを重ねる中で、この風土がさらに強化されている実感があります。
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内海並行して、管理職層が対話の技術を習得することを目的に、コーチング研修を段階的に実施してきました。部長級から受講をスタートさせ、現在は現場の管理・監督職レベルまで対象を広げています。
研修では傾聴の姿勢に加え、フォロワーシップについても学びます。リーダーとして「導く力」と、上位職を「支える力」の両方を磨くことで、対話の質を少しずつ高めています。
コーチング研修の受講者からは、「これまでの研修で一番役に立った」という声が多く寄せられました。対話を大切にする姿勢こそ、まさに今の時代に求められているものだと強く実感しています。
このほか、一度退職した社員を対象とした「カムバック採用」や、事業アイデア公募制度「climbers」、社内で進行中のプロジェクトに部門を超えて参画することができるプロジェクト人財公募制度など、社員一人ひとりが挑戦できる場を整えています。
竹長私たちKakedasが提供しているキャリア面談サービスでも、まずは上位役職者の方々に体験していただくケースが非常に多いです。自身がキャリア面談を受けた経験がなければ、部下へ適切なアドバイスを送ることも難しいからです。
近年は「1on1」を取り入れる企業も増えていますが、本当の価値はやはり自分が良い1on1を体験してみないとなかなか分からないものです。貴社が上位職の方々から順にコーチング研修を進めておられることは、組織全体に良い変化をもたらしているのだと思います。
社員一人ひとりのキャリアオーナーシップに向けた取り組み
現場を信頼する「自由度」のある運用
竹長キャリアオーナーシップに資する取り組みに関してもお聞かせください。
貴社は、誰もが自分のキャリアの希望を伝えられる場として、総合職・管理職は「キャリアデザインシート」で、鉄道現業社員等は「自己申告シート」内にキャリア希望欄を新設し、紙面上でキャリア希望を発露できる機会を設けたほか、これらに基づく「キャリア対話」を導入されています。
取り組みに込められた狙いや、実際の運用の様子をご教示いただけますか。
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内海現在導入しているキャリア対話は、上司と部下が、部下のキャリアについて対話を行うことで、仕事の意義や意欲を引き出し、自律的にキャリアを考え、納得感を持って仕事に向き合える状態を作り出すことを目的としています。
キャリアデザインシートの運用は、まず管理職と総合職を対象に2018年に導入しました。
シートは、これまでの経験を振り返り、やりがいを感じた業務や自身の強み・弱みを整理するものです。その上で、3〜5年後にどんな自分になりたいかを表明してもらう欄を設けています。同時に、今後の異動希望も記載してもらい、シートに基づいて少なくとも年1回はキャリア対話の場を設けることを仕組み化してきました。
専門性の高さを確保しながらも「多様なキャリア形成」を後押し
竹長運転士や技術職など、専門性の高い人財に対しては、キャリアオーナーシップ向上の取り組みをどう進めていますか。
内海現場を支える鉄道従事員も、自分の将来をどう描きたいかを発信、対話できる場を持つことが不可欠です。2024年度より、鉄道現業社員等向けの「自己申告シート」にもキャリア希望欄を新しく設けました。これにより、全社員がキャリアについて対話できる体制を整えました。
総合職・管理職も同様ですが、対話の時間や回数については推奨レベルにとどめ、厳しいルールの強制は避けています。ルールを厳格に定めると、かえって社員の自律性を損なう恐れがあるからです。
もともと当社には評価制度の一環として、上司と部下が対話を行う仕組みがあり、その仕組みを活かして運用しています。そして人事部門は、各職場がそれぞれの状況に合わせて、最も良い形で対話ができるようサポートしています。
鉄道の現場は、例えば駅職場では、サービス係から駅長というピラミッド構造で成り立っています。これまでは、ピラミッドの階段を登っていく「昇進」こそが、唯一のキャリアパスだと思われがちでした。
しかし、キャリアの形はそれだけではありません。現場でお客様対応を極めたい人もいれば、駅長などの管理職を目指したい人もいます。多様な価値観を認め、尊重することこそが、今私たちが進めている「キャリアを自分ごとにする」という取り組みの本質です。
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内海別の職種へ挑戦するキャリアチェンジの道も閉ざしてはいません。ただ、鉄道の仕事は高い専門技能が必要で、メンテナンス担当の社員が「明日から運転士になりたい」と願っても、資格や訓練の面で叶えるのは難しい現実もあります。
だからこそ、上司と部下の対話が重要になります。希望に対して「叶えられること」と「叶えられないこと」を包み隠さず、誠実に話し合うやり取りそのものが、お互いの信頼を深める大切なステップだと考えています。
「キャリアシートを書く側」ではなく「引き出す側」を育てる
竹長一般的には「本音が言えない」「上司に言いづらい」など、社内で本音のキャリア対話をする難しさに悩む声も少なくありません。貴社では、どのようにして本音の対話を実現しようとしているでしょうか。
内海自分のキャリアを言葉にするハードルは、どんな会社でも存在すると思います。当社は、前述の「キャリア志望をシートに書く」という仕組みを整えることで、心の中にある思いを少しずつ表に出してもらえるようにしました。
鉄道現業社員等向けの自己申告シートにおけるキャリアの発露を実際に始めてみると、8割の社員は自分のキャリアビジョンをシートに記してくれました。内容を見ると「今取り組んでいる仕事をさらに深めたい、発展させたい」という現状の積み重ねに誇りを持ち、現職でのさらなる成長を志向する記載が、記載したうちの8割に上りました。
この意思表示が確認できたことは大きな収穫だったと思います。もちろん記述が特になかった社員に対しても、対話を通じて丁寧に想いを汲み取っていくことが大切だと考えています。
竹長キャリアの発露やコーチング教育の取り組みが軌道に乗っているのは、なぜだと思われますか。
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内海取り組みで最も重きを置いているのは、書く側のスキルよりも、上司がいかに「部下の本音を引き出せるか」という点です。
もし意外な希望を書いた部下を一喝したり、書けないことを厳しく問い詰めたりする上司がいれば、部下は二度と本音を言わなくなります。コーチング研修などを通して「引き出す側」を教育することで、部下が安心して自分の意思を伝えられるようになる環境づくりを目指しています。
また、キャリアデザインシートの運用を管理職や総合職など上司側から段階的に始めたことも、功を奏したのではないでしょうか。彼らは数年前から自分自身が希望を表明する側を経験してきました。
そのため、部下から「今の部署とは違う仕事がしたい」と言われても、「自分もそうだったな」と冷静に、かつ肯定的に受け止める「免疫」ができていると思われます。
もし自らの経験のないまま全社一斉に始めていたら、「今の仕事に不満があるのか」と感情的な衝突が起きていたかもしれません。数年かけて上司側の「準備」を整えてきたからこそ、今の健全な対話の形があるのだと感じています。
見えてきた「強み」と「課題」、その先に描く展望
「社員の声を聞く」で終わらせない経営の姿勢
竹長キャリア形成や対話の文化を育む取り組みについて、現時点での効果や手応えをご教示いただけますか。また、施策に関する具体的な指標は設けているのでしょうか。
内海キャリア形成に関する具体的な数値目標は、今のところ設けておらず、2024年度より導入した「エンゲージメントサーベイ」の結果を参考にするようにしています。
エンゲージメントサーベイの設問内にキャリアオーナーシップに関する項目も含まれているからです。今後は、スコア推移を注視していき、場合によっては数値の目標化も検討しています。
今年度実施した2回目のサーベイ結果の推移を見た結果、嬉しい発見がありました。当社がもともと強みとしていた「良好な人間関係」のスコアがさらに向上し、自分の職場を誰かに勧めたいという「職場推奨度スコア」も上がっていたのです。
多くの社員が働く上で人間関係を一番大切にしたいと考え、実際に今の職場を心地よいと感じてくれているのは、私たちが構築してきた「対話の文化」が、実を結び始めている証だと捉えています。
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内海一方、「最適な人員配置」や「快適な職場環境」については、社員が重視している割には、相対的にスコアが低い傾向が継続しています。鉄道の現業職場は仮眠をとりながらの一昼夜勤務も必要です。
しかし、休憩スペースはどうしても狭くなりがちで、施設の老朽化にも対応していかなければならない状況です。また労働人口の減少に伴って採用が難化している今、限られた人数で現場を支える負担が増していることも、スコアに正直に表れていました。
これらは、現場で働く彼らの「もっとこうしてほしい」という切実な声そのものです。そこで、会社として解決に資する施策を、可能なものからクイックに実行しています。
例えば、空調設備の更新や、手軽に食事が取れる置き型健康社食の導入は、すでに着手済みです。サーベイを単なる「結果」で終わらせず、改善のための「具体的なアクション」に直結させることを大切にしています。
サーベイの回答は、自由記述欄の厳しい声も含め、匿名性は担保したうえで加工することなく経営陣に直接届けています。経営陣も「現場が何に悩み、経営をどう見ているのか」を把握したいと考えていて、現場の声を意思決定の材料にしています。
人事としても、「現場の声を汲み取った施策はコストや手間がかかっても実行する価値がある」という経営陣の覚悟を感じています。
AI時代に強みとなり得る「アナログな対話」
竹長最後に、貴社の今後の展望についてお聞かせください。
内海ここ数年、経営上の大きな課題は「人財の確保と定着」です。「対話」が当たり前になり、組織が活気づくことは、結果として良い人財が集まり、長く活躍してくれることに繋がります。
人事部門は、進める施策が「絵に描いた餅」にならないよう、会社がどこを目指し、何を危機として捉えているのかをはっきりと示しながら、具体的な施策へと落とし込んできました。
これからAIやデジタル技術がどれほど進化しても、新しい時代を生き抜くためにはアナログな対話の積み重ねが重要だと信じています。日々の語り合いの中で生まれる気づきを大切にしながら、並行してデジタルの利便性も取り入れていくことが、結果としてAI時代への適応に繋がるのではないでしょうか。
特にこれからの5年間は、AIをどのように組織に活かしていくかが、人事にとっても大きな鍵となります。
職場での対話を深めていくことは、「どの仕事をAIに任せ、どの仕事を人間が責任を持って担い続けるべきか」という境界線を見極めていくためにも必要です。これからも対話を通じてキャリアを自分ごと化し、価値創造に繋げられるような組織であり続けたいと考えています。
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竹長対話の文化をベースとして、個々の社員が自律的に価値を生み出していく土壌を耕すことの重要性を実感した時間でした。今後ますます、地域活性化に向けたさまざまな新規事業が形になっていくことを期待しております。本日は貴重なお話をありがとうございました。






