![]()
長い年月を経て慣習や文化が根付いた組織を変革していくにあたり、経営者はいかにして、成長戦略を描き、意思決定するのか。
資生堂前会長CEOの魚谷氏は初の外部出身者として社長に就任し、組織の抜本的変革を担いました。その変革期において、魚谷氏が経営理念として掲げたのが「PEOPLEFIRST(以下、ピープルファースト)」です。
魚谷氏の掲げた「ピープルファースト」から組織と社員に変化をもたらした具体的な変革プロセスまでを、株式会社ジェイック代表取締役の佐藤が伺いました(以下敬称略)。
<目次>
- 使命感を胸に資生堂の社長を引き受け、立て直しを実行
- 経営において最も大切にすべきなのは「人」である
- デール・カーネギーの教えが“仕事観”を変えた
- 資生堂で実行した挑戦とその道のり
- これからの時代に求められるリーダー像とは
- プロフィール
使命感を胸に資生堂の社長を引き受け、立て直しを実行
佐藤まずは、資生堂の社長にご就任されるまでの具体的な経緯をお聞かせいただけますでしょうか。
魚谷私の最初のキャリアは、1977年にライオンに入社するところからスタートしました。社内制度を利用してアメリカへ留学した際、「会社は株主のものである」という考え方に触れ、衝撃を受けました。私自身は、会社は社員のものであると考えていたので、日本での考え方とのギャップに違和感を覚えたことを、今でも鮮明に覚えています。
その後、日本コカ・コーラの代表取締役社長、会長などを経て、資生堂からオファーをいただいた際には、とても悩みました。
![]()
佐藤当時の資生堂にとって、外部から社長を招くのは異例なことだったと思います。オファーを引き受けた理由をお聞かせいただけますか。
魚谷最終的に社長を引き受けることを決めた理由としては、二つです。一つは、この大役をこれまでのライオンや日本コカ・コーラなどでのキャリアの集大成として捉え、全力を尽くすべきではないかという思いがあったからです。
もう一つは、私の次の世代やもっと若い世代の人たちに「背中を見せる」という使命があると感じたからです。私の世代では転職が珍しいことでしたが、今は違います。やるべきことを一生懸命やって結果を出せば、外部からでも、社長という重要なポストにたどり着けるのです。
このような使命感を胸に、私は資生堂の社長という大役を担うことを決めました。
経営において最も大切にすべきなのは「人」である
佐藤着任後には「ピープルファースト」という考えを掲げて、様々な取り組みを実施されています。この考えはどのような背景から生まれたのか、ぜひお聞かせください。
![]()
魚谷「ピープルファースト」を掲げたのは、経営者としての志をどこに置くべきかと考えた時、経営において最も大切にすべきなのは「人」であるという信念があったからです。
マーケティングのバックグラウンドを持っているからこそ、人が起点となって価値創造が行われることを確信しています。新しい商品やイノベーション、強力なブランドのアイデア、最終的にクリエイティブを生み出すのは、「人」なのです。
よって経営者としての私の役割は、社員一人ひとりが最大限の力を発揮できる「環境」を作ることです。例えば、「このようにアンテナを広げてみたらどうか」「このような新しい試みをやったらいい」「どんどん意見を伝えてほしい」と自ら発信し、社員の自発性や創造性を引き出すような場を整備することが、私の仕事だと考えていました。
実際に、社員と会うために世界中に足を運びました。就任後10年で、のべ約9万人の社員に会いました。社員との場では、自分の考えを語ること、そして社員の意見を聞くことを大切にしていました。
佐藤それほど多くの社員と直接相対する場を設けるのは、大企業の社長という立場でとても大変だったのではないでしょうか。
魚谷このエピソードを話すと、とても珍しがられますが、決して特別なことではないと思います。なぜなら、企業成長の根源は、お客様が正当な対価を支払う判断をする「現場」にあるからです。
自社店舗やドラッグストア、デパートで美容部員がお客様に直接価値を提供しているからこそ、お金をいただけています。だからこそ、経営における重要課題は、現場が収益に力強く貢献できる環境を作ることです。
![]()
魚谷もし現場で何かうまくいっていないことがあるとすれば、原因と解決策は現場の社員たちが一番分かっています。彼らは貴重な一次情報を持っているからです。しかし、うまくいっていない時ほど、上層部に声を上げにくいのが、現場の心理です。そのような声を拾い、意見を聞くことこそが、経営者の仕事です。
とはいえ当然、社内には様々なタイプの人材が存在します。例えば、現場でお客様の心をつかみ、「またあなたから買いたい」と言っていただけるような高いロイヤルティを築き、顧客を生み出すことに長けたスペシャリストもいれば、商品を安全かつ高品質で作ることに貢献する工場や製造部門のプロフェッショナルもいます。
さらに、世界中の情勢を見ながら政治や経済を分析し、経営戦略を構築することが得意な企画・経営層の人材も必要不可欠です。このような多様な能力や強みを持つ人材のすべてをオーケストレイト(統括)することも、経営者の大事な役割でしょう。
デール・カーネギーの教えが“仕事観”を変えた
ディベートにうまく参加できず四苦八苦した留学時代
佐藤魚谷さんは、アメリカ留学中にデール・カーネギー・スクールでトレーニングを受けたことがご自身のターニングポイントになったと伺いました。どのような経緯でトレーニングを受けることになったのでしょうか。
魚谷デール・カーネギーの存在を初めて知ったのは、アメリカ留学中です。アメリカの大学では学生が積極的に発言し、ディベートを行うことが当たり前でした。
私は当時ディベートの経験がほとんどなく、語学力の壁もあったため、授業に出ても何も発言できないことが多々ありました。しかし、マーケティングを専攻しており、現地の国民性や文化を深く理解することが必要だったため、この状況を何とかしたいと思っていました。
ちょうどその頃、同じように留学に来ていた日本人留学生が、デール・カーネギー・スクールを教えてくれたのです。
早速行ってみると、私以外は全員アメリカ人でした。アメリカ人は皆プレゼンテーションが上手だと思っていましたが、中には緊張で顔を真っ赤にして、上手く話せていない人もいました。その時、「アメリカにも私と同じような人がいる」という事実に気づかされました。
そして、アメリカには自己開発のための体系的なメソッドがあるという点に気づき、大変興味深いと思いました。日本にはまだ体系的な教育が普及していなかったので、記憶に残ったのです。
周囲を動かすリーダー・魚谷氏の原点
佐藤デール・カーネギー・スクールでのご経験の中で、特に印象に残っていることを教えていただけますか。
![]()
魚谷デール・カーネギー・スクールの最後の授業で、今後の抱負を語る機会がありました。以前は無口だった私ですが、この時は私なりにうまく話せたと思います。
驚いたのは、かつて緊張でうまく話せていなかったアメリカ人学生も、格段にプレゼン力が上達していたことです。この経験を通じて「体系的なメソッドは個人の能力を変革できる」と身をもって感じました。
また、講師の言葉も印象に残っています。講師は生徒を評価しつつも、「皆さんはなぜここに来たのか。単にコミュニケーションのスキルを身につけるためだけではないでしょう」と問いかけました。
そして、「皆さんは将来リーダーになりたい、人を率いていきたいという自身のアスピレーション(願望)があるからここに来ているはずです。だから、あくまでテクニックを学びに来たとは考えてほしくない」と強調しました。
彼が最も重要なエッセンスとしたのは、説得力のあるコミュニケーションは大切である一方で、それを真に実現するのは「あなた自身の生き方」である、ということです。つまり「どれだけ情熱的に生きているのか、そのことが周囲に大きな影響を与える」と教えてくれたのです。
この教えはその後ずっと意識し続けてきましたし、資生堂の社長に就任した際も「社長という立場に就任した以上、最大限の努力をもって取り組もう」と改めて思いました。
資生堂で実行した挑戦とその道のり
社員と一緒に喜びを分かち合いたい
佐藤資生堂の社長に就任されてから、困難な壁に直面することもあったかと思います。数々のハードルを乗り越え、高いモチベーションを維持されてきた原動力や原点は何だったのでしょうか。
魚谷意外かもしれませんが、社内で大きな抵抗に遭ったり、誰かに陥れられたりしたという認識は全くありません。むしろ「一緒に会社を良くしていくためにがんばろう」と思ってくれた、ポジティブな仲間の姿が印象に残っています。
この経験からも、経営者は楽観的であるべきだと考えています。外部から来た私の考え方やビジョンに共感し、常に私の横でサポートしてくれたことにとても感謝しています。
![]()
そして、私にとっての喜びの原点もまた「人」です。私は人と関わることが好きですし、褒められることも好きです。しかし、それ以上にみんなと一緒に喜びを分かち合い、さらに社員から感謝の言葉をもらうと、リーダーとしてこのうえなく嬉しく思います。
CEOとは「チーフ・エンターテインメント・オフィサー」であるべきだと考えています。エンターテイナーとは、単にギャグやジョークで場を和ませる人ではありません。社員の心を開き、相互理解を深めるという行動を通して、企業が掲げる目標への推進力を強化していく人物です。
「お客様起点」で組織の視点を変える
佐藤社員とのコミュニケーションにおいて、魚谷さんが特に意識していた点を教えていただけますか。
魚谷掲げている目標や目的をどれだけ正確に説明し、伝えられるかという点です。社員とのコミュニケーションは双方向であるべきだと思います。経営層やリーダー層は専門的で難しい言葉を使いすぎてはいないでしょうか。大切なのは、いかに相手の目線に近づけられるか、だと思います。
私はコミュニケーションを「ジグソーパズル」のようだと捉えています。相手がどのようなレベルで何を求めているのかを把握し、発信することを心がけています。これはマーケティングの原理・原則にも通じるものです。こちらが伝えたつもりでも、相手に理解されずにスルーされていることは、想像以上に多いはずです。
![]()
佐藤自分が発した言葉を相手がそのまま受け取れているか、顧みる必要がありますね。社員とのコミュニケーションに関して、印象的だった事例を教えていただけますか。
魚谷「ICHIGANプロジェクト」ですね。当時、現場の優秀な社員一人ひとりが一生懸命に業務に取り組んでいる一方、会社としては業績が伸び悩んでおり、「製品の力不足では?」「販売力の欠如が原因ではないか」など、部署間で意見が割れていました。
そこでICHIGANプロジェクトを立ち上げ、自分たちが「お客様に何ができるか」を一緒に考えて行動するという、ビジネスの原点に立ち返ることにしたのです。役員を含めた本社社員が現場に赴き、サンプリング活動などを通してお客様と直接接する機会も設けました。
役員だって、サンプルを配ることはできますから。この活動を全員で行った結果、徐々に意識改革が起こりました。資生堂は、さらに顧客志向の会社に変わっていけるということを実感した体験でした。
これからの時代に求められるリーダー像とは
組織を牽引するために必要な資質
佐藤最後に、魚谷さんから次世代のリーダーたちへメッセージをいただけますか。
![]()
魚谷まず日本のリーダーには「英語を勉強しよう」と伝えたいです。ネイティブになる必要はないし、政治経済のような高度な議論ができなくても構いません。しかし、自分の思いが伝えられ、相手の言葉が聞けるレベルにはなるべきです。
例えば、海外の投資家に関心をもってもらうためには、自ら夢を熱く語らなければなりません。日本語で語り、通訳を介してフラットな口調で伝えても、その情熱やニュアンスは伝わりきらないでしょう。だからこそ、これからの日本のリーダーには英語をしっかり勉強し、自分の言葉で直接届ける力を身につけてほしいと思います。
二つ目に、多様な人々へのリスペクトを持ってほしいです。すでに多様性をリスペクトすることは当たり前になりつつあります。これからのリーダーには、過去のバイアスを乗り越え、多様であることを心から楽しんでほしいです。
そのために重要なのが「質問の力」だと思います。日本では、若手社員から積極的に質問しにくい風潮があります。だからこそ、リーダー自らが部下にもっと意見を尋ねるべきです。その際、先に自分の答えを言ってはいけません。
もし難しい課題であれば、「2週間待つから、考えてきてほしい」と伝え、しっかり時間を与えます。相手の持つ知識やアイデアを引き出していくという姿勢が、リーダーには必要です。
![]()
三つ目に、リーダーには「インテグリティ(誠実さ・真摯さ)」が極めて重要だと考えます。コンシューマービジネスでは、商品に品質問題が起きることがあります。
工場で何らかの事態が発生し、たとえ健康被害がなく法律違反にも問われないケースであったとしても、品質的に問題が残ることもあります。この際、顧客に気づかれないように商品を回収・交換で済ませるメーカーは少なくありません。
しかし、私はこうした重要な問題に対する判断を公表するべきだと考えています。こうした重大な判断をする際には、どれだけ強いインテグリティを持っているかが問われますし、「自分が責任を取る」という覚悟も必要になってきます。
私は海外で「Commitment」ではなく「KAKUGO」という言葉をあえて使うようにしています。リーダーシップとは「責任を取る覚悟」に他ならないからです。リーダーの覚悟を持った姿は、自分が思う以上に周りの人に見られています。
これから“不確実な時代”に向き合っていく上で、「人」を起点としたマネジメントを行うことは、改めて大事になってくるのではないでしょうか。
佐藤本日はありがとうございました!







