研究の原点は転職支援の現場で出会った「キャリアへの焦り」
「転職したい」という言葉の裏にあったもの
尾野氏が「キャリア焦燥感」の研究に取り組み始めたのは、転職支援の現場での体験がきっかけです。大学卒業後、民間企業で人事の仕事を経験した後、HR企業でキャリアカウンセラーとして転職支援に携わっていた頃のことです。
「当時、特に20代の転職希望者の方から、『今の会社にいたら成長できないんじゃないか』『他の会社に転職したら自分らしく働けるんじゃないか』という声が多く聞こえてきました」。
しかし、そんな若手と60-90分程度のキャリアカウンセリングをしていくと、多くの場合、同じ結末になります。最初は「転職したい」とたくさんの不満を吐き出すのですが、話していくうちに「今の仕事にも意味があるかもしれない」「上司が自分にこの仕事を任せた理由がわかってきた」と気づき、すっきりした表情で「やっぱり今の会社でもう少し頑張ってみます」と帰っていくのです。
お会いした若手の方々は忍耐力がないわけでも、わがままなわけでもありません。将来の道筋が見えず、漠然とした焦りを抱えているだけでした。そのような若者を何人も見ていくなかで、焦りによって視野が狭まって”後悔する転職” を選んでしまう人を減らしたいという思いが生じ、研究の出発点になりました。
尾野氏は転職そのものを否定しているわけではありません。問題にしているのは「視野が狭い中での安易な転職」です。焦りによって視野が狭まったまま動いてしまうと、転職後もうまくいかないケースが少なくない。そうした「早まった転職」を減らしたいという思いが、研究の出発点になっています。
構造的な背景─なぜ今の若手は焦るのか?
キャリア焦燥感が生まれる背景には、社会構造の変化があります。1990年代後半、終身雇用・年功序列から成果主義への移行が進むなかで、「ビジネス社会で生き残るスキルを早く身につけなければ」という焦りが若者の間に広がってきました。
加えて、現在の20〜30代は「個性を重視する教育」を受けて育っています。大学のキャリア教育、また就職活動で「あなたの強みは何か」「やりたいことは何か」を問われる環境のなかで、若手は「”自分らしさ”を早期に見つけなければならない」というプレッシャーにさらされています。
「入社した時点からキャリア自律を意識させる企業も増えてきました。学生から社会人になって、ただでさえ色々なことを覚えなければならない中で、自分が思い描いたキャリアはすぐには実現しないと感じた時、焦りが生まれやすくなります」と、尾野氏は説明します。
かつて企業がキャリア自律を求める対象は中堅・上位層が中心でした。しかし、今では入社直後の若手にまで及んでいます。キャリア自律の概念が悪いわけではありません。しかし、「うまくキャリアを築けないのは自分のせいではないか」という自己責任の意識が、若手をさらに追い詰める構造になっているのも事実です。
尾野氏は、近年は「タイパ(タイムパフォーマンス)」を重視する傾向や、AIに仕事が奪われるかもしれないという不安も、若手のキャリア焦燥感に拍車をかけていると指摘します。
この2、3年、ビジネスシーンの話題を席巻している生成AIは、「どこでも通用するスキルを身につけなければいけない」という焦りと直結し、組織側の長期的な育成計画やOJTへの不満として表れることもあると尾野氏は分析します。






