昨今、将来的な人材不足や人的資本経営への対応、価値観の多様化などのさまざまな課題を受け、長期的な目線でのキャリア形成や人材育成に注力する企業が増加しています。
三井情報株式会社は、全社員が活躍するための組織風土醸成に着手し、社員の「働きやすさ」の促進、そしてキャリアオーナーシップの推進を通じた「働きがい」の醸成に取り組んできました。
今回の改革に至った背景やその具体的な取り組みについて、三井情報株式会社 取締役 副社長執行役員 CHROの蒲原 務氏に、『HRドクター』を運営する株式会社ジェイック 執行役員/株式会社Kakedas 代表取締役の東宮が、お話を伺いました(以下敬称略、肩書はインタビュー時点)。
<目次>
三井情報が組織風土醸成に着手した背景
人事制度改定から始め、組織風土醸成にも着手
東宮御社は“ナレッジでつなぐ、未来をつくる”というパーパスを掲げ、「働きやすさ」の促進と「働きがい」の醸成、キャリアオーナーシップにフォーカスした組織風土醸成を推進されています。組織風土醸成に取り組むことになった経緯についてご教示いただけますか。
蒲原当社は50年以上の長い歴史の中で、三井物産グループのICT・デジタル系企業が結集・統合しながら、事業を拡大してきました。
さまざまな企業が集結していると、当然ながら文化や制度面での違いを整えていく必要が出てきます。そこで、2018年頃から複線型人事制度への改定やワークスタイル変革などを通して、「働きやすさ」の促進に取り組みました。
これと同時に、社員の一体感を生むことを目的にさまざまなイベントを実施し、組織風土醸成にも着手しました。
また、当時はパーパスやビジョンなどはなく、会社の「あり姿」だけが定められていたため、同じく2018年頃から全社員が参加するワークショップを通じて、ともに会社の将来を考えるということで「キャッチコピー」「役職員の価値観」を作りました。
この頃から、部門の枠を超えたコミュニケーションを通じて、社内に「自社をよりよくするために考えていこう」という風潮が生まれてきたと記憶しています。
実はこの頃から、キャリアオーナーシップに関する取り組みも始まっていました。代表的な施策は、2020年度からスタートした「MKIキャリアフォーラム」です。
これは、社員一人ひとりが自身のキャリアや人生について主体的に考え、変化を起こしていくきっかけづくりのために開催しているイベントです。月1回ペースで外部の有識者を招き、キャリアに関する幅広いテーマで講演やワークショップを実施しています。
これまでの取り組みを体系化し、人材マネジメントポリシーを制定
東宮制度面の改定から始め、同時に組織風土醸成も進めていったのですね。蒲原様は2022年4月に現在の役職に就かれたとのことですが、当時はどのような状況だったのでしょうか。
蒲原私は元々CHRO補佐を担当し、営業部門の人事企画職を経て、現在のCHRO職を拝命しました。しばらく営業部門にいたこともあり、着任当初、自社がここまで組織風土醸成やキャリアオーナーシップを推進していることを感知できておらず、「せっかくさまざまな取り組みを実行しているのに、社員に知れ渡っていないのは残念だ」と感じました。
そこでまずは、過去にやってきたことを整理して方向性を明確にし、社内に浸透させていくことから始めました。具体的には、これまでの取り組みをまとめ、「働きやすさ」の促進と「働きがい」の醸成を二軸とした、人材マネジメントポリシーを制定しました。
現在のパーパスもこのタイミングで制定しています。2018年頃に「キャッチコピー」「役職員の価値観」を制定したとお話ししましたが、こうした言葉が複数あり、その繋がりがわかりにくくなっていました。そこで、これらを再定義、再整理し、パーパス、ビジョン、バリューを制定しました。
キャリアオーナーシップを軸とした「働きがい」の醸成
キャリアオーナーシップ推進に感じていた課題
東宮御社は「働きがい」の醸成に関する取り組みの中心に、キャリアオーナーシップを据えています。なぜ、キャリアオーナーシップを重視しているのでしょうか。
蒲原私が着任した当時、すでに価値観の多様化や若手社員の離職率の上昇、社員のエンゲージメントなど、今後対応すべき課題がいくつもある状態でした。
思えば、これまでは「従来の会社と社員の関係は、会社が社員に対して、目指すべき人材像と道筋(キャリアパス)を提示し、一律に定義した上で、会社の期待に応える社員を高く報いる」といった考えが当たり前だったように思います。
しかしこれから先は「多様な価値観を持つ社員が、主体的に「キャリア」をデザインし、その実現に向けて成長するのを会社が支援する関係(会社と社員がイコールの関係)」のようなイメージを作っていくことが大事ではないかと考えていました。
これはまさに「働きがい」の領域であり、キャリアオーナーシップの概念とも近しいものだと思います。
蒲原こうした私自身の課題意識と、すでにMKIキャリアフォーラムなどを通してキャリアオーナーシップを啓蒙していた状況を合わせ、キャリアオーナーシップを軸に「働きがい」を形作っていこう、という方向性になりました。
よって、2022年度からキャリアオーナーシップを前面に押し出し始め、2023年度には当社としてもキャリアオーナーシップ宣言を出し、現在もさまざまな取り組みを実施しています。
キャリアオーナーシップを推進するための施策
東宮キャリアオーナーシップを推進するため、どのような施策を実施しているのでしょうか。
蒲原本格的な取り組みを始めた2023年度は、まず「キャリアって何だっけ?」と、キャリアや仕事について考える、内省する機会を多く設けました。
社員にいきなり「ここから先は、自分でキャリアについて考えましょう」と伝えても、面を食らってしまいます。そこで、キャリアとは何か、なぜキャリアについて考える必要があるのか、キャリアオーナーシップに関する動画や説明会、MKIキャリアフォーラムでの外部有識者の講演などを通して、考えるきっかけを持ってもらうようにしました。
なお、キャリアオーナーシップに関する動画は延べ約2,300名が視聴し、全社員向けのキャリアオーナーシップ推進説明会や世代別キャリア観・マインド醸成ワークショップは、それぞれ計27回、計10回開催され、どちらも約2,400名が参加しています。
このほか、管理職向けの説明会やキャリア面談研修も実施し、130名以上の管理職が参加するなど、その目的や立場に合わせた機会を設けています。
キャリアオーナーシップを社員に「押しつけない」
東宮キャリアオーナーシップを推進するためのステップを用意し、そのステップに見合う取り組みを的確に実施されているのですね。こうした取り組みの中で、蒲原様が意識されていることは何でしょうか。
蒲原キャリアオーナーシップを社員に押しつけないことです。企業が社員に対して「キャリアオーナーシップが大切だから、自分で考えましょう」と言うことは、これまで企業が社員に対して一本道のレールを敷いていたことと大差がないと思っています。
企業がキャリア自律やキャリアオーナーシップを押しつけたら、その時点で「自律」でも「オーナーシップ」でもなくなります。
とはいえ、いきなり「キャリアについて考えなさい」と、“キャリアの海”に放り込むのも違うと思います。だからまずは、海での泳ぎ方を教えること、つまりキャリアについて初歩の初歩から一緒に考えていくことが大事だと考えています。
東宮「押しつけない」というのは、とても大事な観点だと私も思います。企業にキャリアオーナーシップを押しつけられると、社員の心理的な“ガード”も上がります。それで結局、施策が失敗に終わるケースも散見されます。キャリアオーナーシップの導入を丁寧に行うことは必要なことだと感じました。
2年目は「一歩を踏み出す」ための施策を実施
東宮キャリアオーナーシップ推進に本腰を入れて2年目の2024年度からは、どのような取り組みを進められましたか。
蒲原2年目は、自分なりに考えたキャリアに向けて一歩踏み出してもらうような施策を用意しました。例えば、社内インターンの実施です。業務時間の20%を別部署での業務に充て、本来の所属チームでは得られない経験を積めるような制度「社内インターン」を作りました。
社内インターン制度の目的は「気になる部署の中身を知ってもらうこと」です。本業を軸にして他部署の経験を得ることができるので、公募制のような完全な異動よりも手上げのハードルは下がりますし、受入部署や本人の所属部署にとっても対応しやすいのではないかと考えました。
並行して、テーマ別の集合研修やeラーニング、英語学習プログラム、キャリア面談研修なども実施したところ、延べ1,900名が参加しました。社員が登壇するセミナーを開催し、社内でロールモデルを見つけられるような取り組みも展開しています。
また、キャリア関連の施策ではないのですが、社員が希望する全国のオフィスに訪問できる「オフィス見学ツアー」も実施しました。これは、社員アンケートで「他部門の業務内容を知らない」という意見が多く寄せられたことがきっかけになっています。
「他部門を知らないことがマイナスに捉えられているなら、そのマイナスを払拭しよう」という発想です。結果的にオフィス見学ツアーがキャリアを考えるきっかけになった社員も多いようでした。
こうした取り組みを通して、社員それぞれのキャリア観が少しずつ開けていけばよいと考えています。
東宮社員の皆さんは、動き出すまでに時間がかかりますし、何より動き出すのは「怖い」と感じると思います。だからこそ、最初の一歩を踏み出しやすくしている点がすばらしいですね。
蒲原やはり「ゼロからイチ」、最初の一歩を踏み出すことが一番難しいと思います。それに、全員が全員、新たな道に進みたいと思っているとも限りません。だから、全員の背中を押すのではなく、動き出したいと思っている社員の背中を押してあげたいと思っています。
東宮そうですね。また、ここまでお話を伺っていて「一歩を踏み出す人を応援しよう」というメッセージを強く感じます。
中には、キャリアオーナーシップに関する制度をさまざま用意しながらも、制度を把握するところから社員の皆さんに委ねてしまい、キャリアオーナーシップが育つ前にこぼれ落ちてしまう社員が多く出てしまい、制度が活用されていないケースもあります。
しかし御社の「委ねすぎず、選択肢を提供する」「動きたいと思っている社員を後押しする」という姿勢から、安心感を得ている方は多いのではないかと感じました。
キャリアオーナーシップ推進による社員への影響
社員が主体となって各種勉強会を開催
東宮こうした取り組みを経て、社員の皆さんにはどのような変化が起こっているのでしょうか。
蒲原社員が中心となって何らかの取り組みを企画、運営するケースが出てきています。例えば、「MKI PICKUP」という社内報では、研究開発やイベント開催、自部署紹介など、ほぼ毎日各部署から何かしら発信されていますし、様々な勉強会も企画されていたり、社員が主体となった発信が増えてきたように感じています。
今後さらにこうした事例が生まれるかもしれませんが、私から「2匹目のドジョウ」を狙いにいくことは考えていませんし、他部門への波及効果なども期待していません。事例を望んで生み出すことは、先ほどお伝えした「押しつけ」につながってしまうからです。だからあえて放任主義を貫いています。
「キャリア意識の高まりによる転職」の捉え方
東宮社員の皆さんの変化について、もうひとつ質問があります。キャリアオーナーシップ推進の中で「会社に残るか、転職するか」という選択肢が脳裏に浮かび、結果として転職される方もいると思うのですが、これに対して蒲原様はどのようにお考えですか。
蒲原キャリアに対する意識が高まり、社内に望む選択肢がないことを理由に転職するのは、当然起こり得る話です。私たちはこうした社外に出て行くような力のことを「遠心力」と呼んでいます。キャリア自律やキャリアオーナーシップは、遠心力を高める側面がありますので、自社から離れていく社員が出ることは仕方がないと考えています。
とはいえ、社員がいないと会社は成り立ちませんから、企業の「求心力」も高めていく必要があります。そのために経営理念であるパーパス、ビジョン、バリューがあるともいえますし、これらに対して社員の共感を呼ぶことは重要です。
そして「三井情報はこういう理念のある会社なんだ」「だったら三井情報で働きたいよね」「ここで働いていると楽しいよね」と思ってもらうことも、私たち人事部門の仕事ではないでしょうか。
一方、企業がどれだけ高尚な理念を掲げたとしても、日々の仕事がつまらなければ、社員は辞めてしまうでしょう。よって、他部門に対して「働きやすさ」や「働きがい」に関する取り組みをお願いすることもあります。
東宮求心力を高めるため、何か取り組まれていることはございますか。
蒲原昨年から、タウンホールミーティングを実施しています。社長や私だけでなく、他の取締役にも出席してもらい、社員の前でパーパスについての自身の思いや考えを語ってもらう機会を作っています。こうした取り組みは今後も実施していく必要があるでしょう。
今後もキャリアオーナーシップを丁寧に推進
新たな取り組みを交えながら、丁寧に取り組んでいく
東宮キャリアオーナーシップ推進の3年目に当たる本年度は、どのような取り組みを実施される予定でしょうか。
蒲原今年度は再び、「キャリアとは何か?」という意識醸成の施策に戻ろうかと考えています。社員は随時入れ替わりますし、新しく入社される方もいます。そのため、施策をどんどん進めるのは敢えて止めようと考えています。
その上で、初めて「Career WEEK」というキャリアについて話す・聴く・気付くイベントを実施しました。8月の一週間、キャリアをテーマとした外部有識者の登壇や社員同士の対談や体験談の他、学び場を開催し、社員がその様子を自由に視聴、参加できるようにする取り組みです。
実は3年ほど前に、ダイバーシティをテーマに「ダイバーシティWEEKs」という試みをスタートし、意外と好評でした。今回は、その“キャリア版”を実施する形です。こうした新しい取り組みにも注目してもらえたら嬉しいです。
東宮キャリア意識の醸成に立ち返りながらも、新しい取り組みを実施されるのですね。最後に、今後の展望をお話しいただけますか。
蒲原当社はこれからもキャリアオーナーシップを推進していきますが、キャリアは無理に考えるものでも、企業が押し付けるものでもないと思っています。
「理想の将来像を描き、バックキャスティングで今の自分について考える」といった手法もありますが、自分の将来を鮮明に描ける方は多くないと思いますし、理想の将来と今の自分とのギャップに不安を感じてしまう方もいるのではないでしょうか。
それならば、「今の自分の先にきっと何かがあるだろう」と、フォアキャスティングの考え方で、無理なく進んでいくほうが良いこともあるでしょう。
またキャリアオーナーシップ推進の難しい点は、明確な効果測定が難しく、結果が出るまでに時間がかかる点です。何かKPIを立てたとしても、KPIとは違った部分に良い反応が出て「予期せぬ成功」につながるなど、非常に複雑な性質を持っています。
だからといって「結果は測りようがないけれど、間違ったことはやっていない」と、自分たちの取り組みを正当化することも違うと思います。
これからも健全に悩み、時には「予期せぬ成功」を喜びながら、時間をかけて丁寧に、社内の意識を変えていこうと考えています。
東宮御社の取り組みについて伺い、社員にすぐ行動を迫るのではなく、一歩踏み出すための仕掛けを数多く設計している点が、成功の秘訣ではないかと感じました。企業が社員に自律的なキャリアを求めていくと、社員は「レールを敷かれている」という感覚に陥り、自分らしいキャリアを遠く感じる要因にもなりかねません。
「“キャリアの海”の泳ぎ方を教えるところから始める」などの丁寧な関わりが、結果的に「働きがい」の醸成や、キャリアオーナーシップ推進の近道になるのだと分かりました。本日は貴重なお話をありがとうございました!

また、2020年からは、執行役員営業企画本部長として営業部門の企画・人事・総務を担当。人材開発・育成、働き方改革に伴う制度設計・運用などに従事。
2022年4月より現職に就任。

株式会社Kakedas 代表取締役
定着・活躍推進、キャリア自律、イクボス、女性活躍推進などを中心に活躍中。組織開発の支援実績も多数。グループ会社、株式会社Kakedasの代表取締役を兼任。