子供からの手紙
皆 様
いつも大変お世話になっております。
株式会社ジェイックの梶田です。
先日、日本経済新聞の夕刊で連載されているコラム、
「あすへの話題」で心に沁みるお話が紹介されていました。
夕刊の1面ですから目にされた方も多いと思います。
書き手は、伊藤忠商事会長CEOの岡藤正広さんです。
伊藤忠商事では、毎年夏に社員の皆さんがお子さんを
会社に連れてくる「キッズデー」を設けているそうです。
そこでの岡藤会長と、ある社員のお子さんのやり取りが
書かれていました。
5年目の「キッズデー」で、ひとりのお子さんが
社員食堂で岡藤会長に声を掛けお手紙を手渡したそうです。
以下抜粋します。
“「岡藤社長様へ
私はお父さんが大好きです。だから私も将来、伊藤忠に
入ることができたらいいなと思います」
最後には、
「お父さんは社長タイプではないので副社長になってほしい」
というオチまで付いている。
(中略)
子供が父親の背中を見て「自分もこうなりたい」と思うのは、
なんてすてきなことだろう。もう胸がジーンとした。”
(日本経済新聞 夕刊 1面 「あすへの話題」2021年4月26日抜粋)
…
私の父親は、自営業者でした。
地場の斜陽産業のひ孫請けの小さな工場を経営していました。
学校から帰ってくると、
出来上がった製品をホロのついたトラックに載せるのを手伝い、
そのまま、たばこの匂いのしみついた助手席に乗り込み、
発注先への配送、積み荷降ろしに駆り出されていました。
代金の受け取りは、殆どが約束手形で小切手や現金は稀でした。
なかには、為替手形や裏書きされたものもあり、不渡り手形を
つかまされたこともありました。
子供のくせに手形に詳しくなりました(苦笑)
仕事が集中した時に、深夜まで、自宅兼工場の機械が動く音は
今でもありありと思い出せます。
父子家庭でしたから、そういう時は、仕出し弁当の残りや、
近くの定食屋につれて行かれました。
夜中に工場の隅の古い机で電卓を叩いて請求書を作っていた
父の姿もよく覚えていますが、、、
働くことの厳しさをなんとなく学びはしたものの、
「自分もこうなりたい」とは思えませんでした。
…
それから、35年以上が経ちました。
何年か前に、私の息子が高校受験を控えていた時に、
将来の仕事について、少しだけ話をしました。
はじめて、将来の仕事やそこへ繋がる大学生活について
思いを巡らせた息子は、こう訊いてきました。
「ジェイックに入ろうと思ったらどんな大学に行けばいい?」
心がジーンとして言葉に詰まりました。
それから4年ほどがたち、彼は今、関東の大学に進学し、
1人暮らしをしています。
コロナ禍でなかなか会いに行くことはできませんが、
少しずつ自分の将来を作ろうとしています。
とうに私の背中から離れ、
その目は、様々なものを映していることと思います。
彼の記憶の中にある私の背中が、なんらかの力になれれば、
それはすてきなことだなと思います。
「マネジメントとは“子育てと同じ”である」
目の前にある仕事に懸命に向かい、共に働く仲間と共に、
もっとよりよい仕事を探求していくこと。
それは自分の子供を大切に育てることと同じように思います。
私は、父と同じようになりたいとは思いませんでしたが、
それでも、たくさんのことを父の背中から学びました。
皆 様のお父様はどんな方でしたか。