「今日の今日、相談したい」──そんな人事担当者の切実なニーズに応える場所が、東京・人形町にあります。2024年4月に設立された「人事図書館」は、24時間365日使える常設の学び場として、約740名の会員を抱える人事のコミュニティです。
単なる書籍が並ぶ図書館でもなく、イベント型の勉強会コミュニティでもない。人事担当者が抱える孤独と課題に真正面から向き合う、新しい形の学びの場の取り組みについて、株式会社Trustyyleの設立者で同図書館の館長を務める吉田洋介氏にお話を伺いました。
<目次>
- なぜ今、人事に"常設の学び場"が必要なのか
- よくある人事コミュニティとの決定的な違い
- 会員の利用実態──多様な関わり方を許容するコミュニティ
- 人事の関心事──実務と存在意義の探求
- 今後の展望──全ての組織に人事のプロを
- 取材協力
なぜ今、人事に"常設の学び場"が必要なのか
人事が抱える二つの課題──気軽な相談相手の不在と知見へのアクセス
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吉田氏は人事図書館の設立の背景ついて二つの課題認識を語ります。
一つ目は、「人事担当者が社内に相談できる人がいない」という構造的な問題です。組織や人に関する話題は、社内では軋轢を生みやすく、機密性も高いため、気軽に相談できる相手が限られてしまいます。
「例えば、代表からこういうオーダーを出されたけれども、社内の誰にも相談できない内容で困っている。あるいは人員削減の話が出てきたときに、現場のマネージャーに『こんなことが起きそうなんですけど』とは言えない。そういった時、一人で抱え込むしかない状況が多いんです」
新卒採用で内定者6人のうち3人が入社直前に辞退したり、上司が急に辞めることになり引き継ぎを数日でまとめなければならなかったり──人事の現場では、「今日の今日」の緊急事態が頻繁に起こります。しかし、その相談を気軽にできる相手が社内にいないというジレンマを、多くの人事担当者が抱えていると吉田氏は話します。
二つ目の課題は、「人事に関する学びがまだまだ届いていない」という点です。先人たちが残してくれた書籍や論文には、様々な困り事に対する有効な知見が蓄積されています。しかし、情報量が膨大であったり、どうアクセスしていいかわからなかったりと、知見が必要な人に届いていない現状があります。
「困っている人たちを救うような知見がちゃんと届いてほしい。その思いから、図書館という形で約3,000冊の本を用意し、様々な知見が集まる場を作りました」
24時間365日、いつでも立ち寄れる”常設”の意義
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人事図書館を創設する際に最もこだわったのが、24時間365日使える「常設」の場であることです。人事領域でイベント型の勉強会やコミュニティは以前から存在していましたが、それでは解消できない悩みがありました。
「困っているのは大抵『今日の今日』なんです。今日ヒントを得たい、今日誰かと話したい。でも、今日の今日『話を聞いてください』とメールを送るのはハードルが高い。特に人事の方は相手に気を遣われる方が多いので、相手の予定を無視して自分の話を聞いてくれとは言えない」
そこで人事図書館では、いつでも立ち寄れる物理的な場所を用意しました。午後1時から夜9時までは常駐スタッフもいるため、「困ったときに顔を見て話せる」環境が整っています。
吉田氏によれば、物理的場所を持つという判断は、ビジネス的には「悪手」だと多くの人から言われたそうです。「場所代がかかることで経済的に不利になる。でも、今日の今日会いたい、困ったときに安心して話せる場所を、多くの人が当たり前に持てるようにしたかった」──その思いが、常設の場を生み出しました。
よくある人事コミュニティとの決定的な違い
匿名×24時間の常設スペース×3,000冊の蔵書
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人事図書館の最大の差別化ポイントは、「匿名のコミュニティ」「24時間の常設スペース」「約3,000冊の蔵書」という三つの要素が組み合わさっている点です。
肩書を外すことで生まれる対話の質
特に重要なのが「匿名性」です。人事図書館では、ニックネームで参加し、実名・実社名は出さない、名刺交換もなしというルールを徹底しています。
「社名を出すことによって相談しづらくなることを避けたいんです。極端な話、有名企業だと『労務問題がある』と言っただけで株価に影響しかねない。でも、相互にどこの所属かわからない環境なら、そういったシチュエーションでも相談しやすくなります」
吉田氏は名刺交換をしない利点について「“営業活動に繋げにくい場”としても安心して参加ほしい」と話します。人事は採用や教育、組織開発に関連する予算を持っていることが多いため、ビジネスアプローチをかけられることが多くなります。
営業されると『そのために話したわけではないのに』となってしまう。人事図書館では安心して、集中して自分の話したいテーマについて話せる環境を実現しています。
匿名性と常設という二つの要素が組み合わさることで、「今日困ったことを、社名を明かさずに、安心して相談できる」という、他にはないコミュニティが成立しているのです。
3,000冊の人事関連書籍
人事図書館には約3,000冊の人事関連書籍が揃っています。これは単なる装飾ではなく、「先人たちの知恵を必要な人に届ける」という明確な意図があります。
書籍は採用、人事制度、キャリア、教育・人材開発、組織開発、コミュニケーションなどの幅広いテーマが揃っています。困ったときに立ち寄れば、その場で関連する書籍にアクセスし、先人の知見から学ぶことができる──それが人事図書館の目指す姿です。
会員の利用実態──多様な関わり方を許容するコミュニティ
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週に何回も来る人や、オンラインだけの人まで
会員約740名の利用頻度は実に多様です。多い方は週に何回も訪れ、少ない方は数ヶ月に1回、あるいはほとんど来ないという方もいます。
「現地に来ること」だけが参加の形ではありません。Slackでのオンラインコミュニケーション、イベントのアーカイブ視聴、他のメンバーの困り事へのやり取りを見るだけでも、「自分は一人じゃない」と感じられます。
利用目的も多岐にわたります。問題解決のために学びたい人、人事のトレンドを掴みたい人、人事としての力をつけたいが身近にロールモデルがいない人──それぞれの目的に応じた関わり方ができるのが、人事図書館の特徴です。
「直接行くことを楽しみにしている方もいれば、頑張っている人たちと同じ空気感を感じていたいという方もいます。人事に関する学びがギュッと詰まっている場所で、情報を集めておけばこと足りるから入っているという方もいらっしゃいます」
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7割が「持ち込み企画」──双方向の学びの場
人事図書館では、月に15〜20回ものイベントが開催されています。開催したイベントは1年半で約300件と、驚異的なペースです。
イベントの内容も多彩です。代表的なものは書籍出版記念イベントで、著名な研究者を招いたり、実務家の書籍紹介をしたりしています。
開催しているイベントの7割は「持ち込み企画」だといいます。
「『こういうことをやりませんか』と提案いただき、『ぜひやりましょう』という形で進んでいます。私たち発信のものは2〜3割程度。人事の方々に何かを伝えたい方、自分が学んだことをシェアしたい方が多く、相談いただくものを実現していったら、自然に1年半で300本になっていました」
異なる専門性が交わる場での学び
人事図書館には、人事担当者だけでなく、経営者、人事ベンダー、産業医など、人事の隣接領域で働く方々も参加しています。匿名性によって“営業の場になる”ということを防ぎつつも、多様な専門性が、独特の化学反応を生み出しています。
人事の関心事──実務と存在意義の探求
「基本スキル」と「現場への関わり方」
人事図書館で開催された大型イベント「人事祭」と「人事の羅針盤」から見えてきた人事の方々の関心は、大きく二つあります。
一つは、基本的なスキルへの根強い需要です。採用の進め方、労務問題への対処法など、どの会社でも共通する人事課題に関連する具体的なスキル習得は、人事の方々の関心が高いテーマだといいます。
もう一つの関心事は、「現場への関わり方」です。
「カードゲームやボードゲーム型の研修体験がすごく人気だったり、チームに対して働きかけていくワークショップの開催方法などへの関心が高い。人事が直接的に現場に働きかけに行こう、何かをやっていこうという関心が強まっています」
AI時代における「人事の存在意義」という問い
さらに深いレベルでは、「人事という職種の存在意義が問われている」という危機感が、多くの参加者の間で共有されています。
「経理、法務、エンジニアと比べると、人事は専門性が高い職種とあまり思われていない。経営者の多くは『本当は自分の方が採用をうまくやれる』『自分の方が人を育てられる』と思っている。労務はさすがに専門性が必要だと認識されますが、それ以外の部分では専門性が低く見られがちなんです」
AI時代が到来し、人手不足も深刻化する中で、「なぜ人事という仕事が必要なのか」「人事が存在する価値はどこにあるのか」という問いが、改めて突きつけられています。
だからこそ、人事担当者たちは「経営にインパクトをもたらす人事になりたい」「事業を前に進めていく人事になりたい」という言葉を口にするようになっています。
今後の展望──全ての組織に人事のプロを
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「人事のプロ」が必要な時代の到来
人事図書館が掲げるビジョンは、「全ての組織に人事のプロ」です。
「人口が減っていく中で、お金を払っても人が採れない時代が来ます。これまでは究極は『給与を上げれば採用できる』という考えがありましたが、これからは、いくら待遇が良くても『その会社で自分の大切な命を使う意味が分からなければ応募しない』という時代です」
そんな環境の中で事業を継続していくには、働く人たち、接する人たちに「ここにいたい」「いつかそこに入りたい」「この仲間と一緒にやりたい」と思ってもらうことが不可欠です。
しかし、事業成長を牽引しながら、魅力的な組織作りを同時に推進することは、多くの経営者にとって難しいテーマです。だからこそ、経営者を支える「人事のプロ」が、それぞれの会社において必要になってきます。人事図書館はこうした「人事のプロ」を支える存在でありたいと考えています。
学びを全国へ──出張人事図書館の試み
現在、人事図書館では東京の常設拠点だけでなく、「出張人事図書館」という形で人事図書館の館長やスタッフが全国各地を訪れ、セミナーの実施、またセミナー参加者同士の交流や意見交換の場を作っています。
様々な地方に足を運ぶと、困難に直面している企業が多々あり、後継者不在で潰れていく企業も数多く目にします。こうした地域の課題を解決するには、地域企業を支える「人事」のパワーアップも不可欠です。
人事図書館として、地方で奮闘する人事の方々に、最新のトレンドや実践的な知識、具体的な採用・組織づくりの戦略を分かりやすく届け、互いに知見を共有できる場を提供したいと考えています。
こうした支援を通じて、より良い採用・育成・組織づくりを実現できれば、それが企業の存続や地域経済の維持にもつながっていくと考えています。
AIと共存する人事のあり方
AI時代における人事の役割について、吉田氏は明確な考えを持っています。
「AIにできないのは『責任を取る』こと、『意思決定を下す』こと、また『テキスト化されていない情報を感じ取る』ことは、まだ人間の方が上回っています」
責任と意思決定に覚悟を決めて成果を上げていく人事は、まだまだ数が足りません。一方で、作業的なことしかやってこなかった人事にとって、AIは大きな脅威となりえます。
AIとの共存をうまくできるよう、人間の力をより前向きに発揮できる環境を、人事図書館でもトライしていきたいと思っています」
人口減少とAI時代が同時に到来する中で、人事の役割は大きく問われています。その答えを探す場として、人事図書館は人事担当者たちの学びと対話を支え続けています。
取材協力






