第1の習慣「主体的である」
まずは第1の習慣「主体的である」の内容を解説します。主体的であるとはどういうことか。そして、主体的であるを理解するポイントになる「刺激と反応」、また、私たちが主体性を発揮できる源となる4つの力を紹介します。
第1の習慣「主体的である」とはどういうことなのか?
一般に「主体的」というと、「自発的に率先して行動する」という意味で使われるケースが多いかもしれません。しかし『7つの習慣』では、上記とは少し違った意味で使われています。
著者であるコヴィー博士は、主体的であるということを「人間として自分の人生に対して自ら選択し、自ら責任をとるということ」と定義しています。ポイントになるのは「選択」です。主体性とは、自ら選択して、結果に対して自ら責任を取ることを指すのです。
主体性を理解するためのキーワード「刺激と反応」
第1の習慣「主体的である」をより深く理解するうえでは、「刺激」と「反応」という単語がキーワードになります。
まず「刺激」とは、自分の身に起こるさまざまな出来事です。
<刺激の一例>
・朝出かけようとしたら雨が降っていた
・お隣さんに「おはようございます」と挨拶された
・満員電車で足を踏まれた
・上司に挨拶したら無視された
・顧客から「君の所に発注するよ」と連絡をもらった
・製造部に連絡したら「納期が厳しい……」とイヤな顔をされた
など、良いことも悪いことも含めて私たちの日常は「刺激」の連続です。
そして、「反応」とは、刺激に対する私たちの思考や行動です。前述した刺激に対して、私たちはさまざまな反応を返しています。「笑顔で挨拶を返す」ことも「無視する」ことも、「なぜ挨拶を返してくれないんですか!?と上司に食って掛かる」ことも「挨拶ひとつできないんだよね……」と陰口を叩くこともすべてが反応です。
さまざまな刺激のなかには、自分にとってネガティブに思われる刺激もあります。それらの刺激に対して感情的に反応してしまうことが「反応的」であるといいます。
具体例を挙げてみましょう。満員電車の中で隣の人に足を踏まれてしまった状況を想像してみてください。足を踏まれてしまうのは、不快だと感じる方が大半でしょうし、相手がハイヒールなどであったら、かなりの痛みも生じるかもしれません。生じた痛みにイラっとした感情のままに相手を睨みつける、カバンで相手をぐっと押すといった行動が「反応的」な行動です。
反応的な行動のポイントは何をするかではなく、「刺激から生じた感情に流されて行動する」ということです。つまり、選択していないのです。
一方で、主体的な行動とは「選択する」ことです。例えば、満員電車で足を踏まれて痛かった、イラっとしたあと、「まあ相手もよろけたのだろうな」「自分も人の足を踏んだことはあるからお互いさまかな」と考えてやり過ごすといった反応を「選択する」ことが主体的な行動です。
コヴィー博士は『7つの習慣』において、「刺激と反応の間にはスペースがあり、選択の自由がある」といいます。日々の刺激と刺激にともなう生理的な反応は一種避けられないものです。しかし、「刺激に対してどう反応するか?」は自分の問題であり、自分がコントロールすることができるのです。
人間が生まれつき持っている4つの力で主体性を発揮する
コヴィー博士は、刺激に対する反応を選択できることの源には、人間がもともと持っている4つの能力が関係していると述べています。本能で行動する動物と異なり、人は生まれつき、自覚・想像力・良心・自由意志という4つの力を備えています。
4つの能力の詳細を、先ほどの満員電車で足を踏まれた事例とともに紹介しましょう。
・自覚:自分自身を客観的に見つめる力
Ex)足を踏まれて痛みとともに「イラッとした」感情が自分に生じていることを把握する
・想像力:現在の状況の先を考える力
Ex)足を踏んだ人に怒ったり足を踏み返したりしたらどうなるかを想像する
・良心:善悪を区別する力
Ex)足を踏まれた程度で声を荒げたり、踏み返したりすることが良いことなのか?を自問する
・自由意志:刺激や外的な影響に左右されず、自立して行動する力
Ex)自覚・想像・良心を踏まえて、自分が望む結果のためにどういう反応がふさわしいのかを選択する
自覚、想像力、良心、自由意志という誰もが生まれつき持っている4つの力に自覚的となることが、主体的に生きるためのポイントです。






