栄冠は君に輝け
いつも大変お世話になっております。
株式会社ジェイックの梶田です。
リモートワークが増えたので、通勤時間が少なくなった分、
新聞をきちんと読んだりニュースを観たりする機会が増えました。
その延長でNHK朝の連続テレビ小説を観ています(BS7:30~を観ます)。
日本人が馴染む数々の名曲を生み出した作曲家、
古関裕而(こせきゆうじ)さんを主役にしたドラマですが、
戦前、戦中、戦後の激動期を背景にしていてユーモアとシリアスが
折り重なってとても見ごたえのあるドラマです。
日本人なら誰もが耳にしたことがある名曲がたくさん出てきて、
「あー、この曲もこの人が」と思う事がしばしばです。
今、物語は戦後に入り、全国高校野球選手権大会のテーマ曲、
「栄冠は君に輝く」を手掛けるところに差し掛かったところです。
…
今年は、コロナにより、夏の甲子園の開催が見送られ、
あの「栄冠は君に輝く」を聞くことがありませんでした。
しかし1年前、私は、息子の通う高校の野球部が甲子園に出場し、
甲子園球場のアルプスに生まれて初めて行きました。
そのグランドには、小学生の頃から息子と同じ野球チームにいた、
幼馴染みが立っていました。当時2年生で唯一のレギュラーです。
息子は、高校では、野球から離れ学業に打ち込むことを決めました。
そして、幼馴染みの彼は野球に打ち込み、夢の甲子園の舞台に、
私や息子、そして地域の人たちを連れて来てくれました。
彼は、本当に野球が大好きで、小中とキャプテンとして、
チームを引っ張るものの、負けると一番悔しそうにしていました。
整列後にひとりで陰に隠れて泣いている彼の姿を何度もみました。
以前のメルマガでもご紹介しましたが、
少年野球の時には、毎日「野球ノート」に日々の練習の軌跡を
刻んでいました。彼も、私の息子も。
昨年夏、彼は、夢の舞台である甲子園大会で
なんと、逆転満塁ホームランを放ったのです。
レフトポール際に飛び込んだ打球は、
反対の1塁側アルプスに陣取った我々の目からは遠く、
一瞬スタンドは静まり返り、誰かの「入った!」という声で、
地鳴りのような歓声に変わりました。
私は、その歓声と喧騒の中で、一緒に来ていた息子を探し、
息子を見つけ、ふたりで抱き合って喜びました。
涙が止まりませんでした。今思い出しても涙が出そうになります。
チームは甲子園ベスト4で敗退しましたが、
小学生のころから知っている彼が見せてくれた、
この夢のような体験はきっと生涯忘れることができません。
今年はコロナで甲子園もなく、
「栄冠は君に輝く」を聞くこともありませんでしたが、
3年生になった彼はキャプテンとして新チームを引っ張りました。
…
そして、昨日(この原稿を書いているのは10/27)のドラフト会議、
彼の名前が呼ばれたのです。
小学生の頃から夢だと語っていた、甲子園に出場し、
なんとそこで満塁ホームランを打ち、
さらに、プロ野球選手になるという夢も叶えたのです。
彼の夢は、いつしか、彼の野球を見て応援してきた、
わたしたち地域のひとたちの夢にもなっていました。
栄冠は彼に輝いたのです。
私の息子は、ドラフトの当日、その幼馴染みの彼と、
駅で待ち合わせて、一緒に登校したそうです。
息子は帰ってきて、
「今度は俺の番、はやく受験を乗り越えて、
大学行って、俺も、もう一回野球やりたい」
と言っていました。
小中と、毎週のように息子と一緒にいた練習場のグランド。
もし叶うなら、
もう一度、練習終了後のトンボ掛けを一緒にしたいものです。
「マネジメントとは夢を追いかけること」
今、このコロナ禍で社会人の働き方も大きく変わってきています。
急激な変化に対応することが難しく心身に多大なストレスを感じ、
仕事へのモチベーションやエンゲージメントが減少する人が
増えてきているという記事なども目にします。
相関性がどれだけあるのかはわかりませんが、
将来への希望を持てず自ら命を絶ってしまう人もおられるようです。
しかし、こんな現代だからこそ、将来に希望を持つべきです。
夢や目標を持つこと、そして、それを共有することが希望となり、
人や組織を動機づけるのだと思います。
戦後の復興のときに、日本人が高校野球に熱狂したように、
この激動の現代でもまた、我々には夢が必要な気がします。
“栄冠は夢に輝く”のです。
とっくに私より背が大きくなった子供たちに教わりました。
私も、働く人たちが夢に向かえるような組織の実現に尽力をして、
少しでも多くの夢の実現に寄与してまいりたいと思います。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
株式会社ジェイック
教育事業部ゼネラルマネージャー
梶田 貴俊