発起人から見た「人的資本経営の“現在地”」
人事部門と経営層をつなげる“文脈”を作りたかった
近藤 2020年9月に「人材版伊藤レポート」が公開されてから5年が経過しました。大手企業を中心に人的資本経営への取り組みや統合報告書・IRでの情報開示が進み、取り組んでいない会社を探すほうが難しいほどです。伊藤先生はこの現状をどのように捉えていらっしゃいますか。
伊藤 私の予想を遥かに超えて人口に膾炙(かいしゃ)したと実感しています。2020年に最初のレポートを出し、2022年に「人材版伊藤レポート2.0」を公開しましたが、正直ここまで急速に社会全体へ浸透するとは、当時の経済産業省の事務局も含めて誰も想像していなかったと思います。
当時、「人材版伊藤レポート」作成の発端となった研究会のメンバーは、基本的に私が一人ずつ選びました。なぜなら、従来の“人事”の枠組みを壊したかったからです。
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伊藤 長く人事分野に携わっている方々は、どうしても労務管理や制度の整合性など「人事部門内の議論」に終始しがちでした。この議論も重要ですが、結果的に経営層と人事部門との間に大きな溝が生まれていることに、私は問題意識を持っていました。
経営者から見て、人事は“社内の秩序を維持する部門”であり、戦略的なパートナーとして捉えられることは稀でした。この構造を打破するため、私は研究会に「投資家」を呼び込みました。人事関連の議論の場に投資家を巻き込むのはあり得なかったことです。しかし、投資家を呼び込んだ取り組みによって「人材への投資が、いかに企業価値や将来の不確実性を左右するか」という、人的資本と経営・資本を直結させる文脈が生まれました。
「日本企業は従業員に優しい」は都市伝説
近藤 人事部門の価値や立ち位置、役割を変え、新たな文脈を生んだことで、人的資本経営は多くの企業や経営者に受け入れられた、ということでしょうか。
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伊藤 はい。人事部門だけが「変革が必要だ」と叫んでも、経営トップと共鳴しなければ空回りしてしまうでしょう。
加えて、私は「日本企業は従業員に優しい」という言説にも違和感を覚えていました。もはや「都市伝説」ではないかと思っているほどです。たしかに日本企業は従業員を簡単に解雇しません。しかし、本当に従業員を大事にしているかといえば、むしろ逆ではないかと感じています。
なぜなら、典型的な日本企業ほど従業員の配属や異動をすべて会社が主導し、本人の意志やキャリアの希望は二の次だからです。異動の自己申告制度があっても、実際に希望が通ることは滅多になく、多くの従業員が「希望を提出しても意味がない」と割り切っています。私は「このままでは国が滅びる」という危機感を覚えていました。
そのため、2014年の「伊藤レポート」で「ROE 8%以上」という資本効率性のKPIを提示し、2017年の「伊藤レポート2.0」では、ESGなど無形資産への投資を促しました。また、サステナビリティ・トランスフォーメーション(SX)の流れと並行して「人材版伊藤レポート」を公開し、企業の持続的な収益性を高めるため、無形資産の核心である「人材」の価値を引き出す人的資本経営へと舵を切る道を作ったのです。
近藤 現在の日本企業は、慢性的な労働人口の減少や若手採用の難化といった課題を抱えていますが、この背景も相まって人的資本経営が受け入れられたのでしょうか。
伊藤 そうですね。ただ、私は多くの経営者と話す中で「大量に人を採用し、画一的な教育で現場に投入する時代は終わった」と感じています。従業員数が少ない場合でも、入社した社員が企業に対する強い興味とパーパスへの共感を持つ人材を集め、バリューを最大限に引き出せば、世界と十分に戦える少数精鋭の強い組織ができあがります。採用難という構造的な課題を根本から解消する戦略としても、人的資本経営は有効だと考えています。






