Q.杉山様の開業に至るまでの経緯について教えてください
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杉山様:引き籠もりから一転、美大でデザインを専攻し、24歳で世界一周の旅に出ました。帰国してからは、自分の特性上、会社勤めは難しいことと、絵を描きたいという衝動を正直に、アーティストとしての道を歩み始めました。
それだけでは食べていけないので、デザイナーとして友人・知人の仕事を手伝い、日銭を稼ぐような生活をしていました。
ただ、30歳になったことを機に自分に才能がないことを自覚し、アーティストとしての活動には終止符を打ちました。一方で、デザイナーとして国際的なデザイン賞を獲得したこともあり、フリーランスとしてその道一本でやっていこうと決心したんです。
もともと世界一周でみてきた歴史的に残る文化遺産から、「やるならこの世に何か足跡を残せるものを作りたい」と考え、アーティストやクリエイターとして活動していました。
しかし、32歳になったころ『ビジョナリー・カンパニー』(ジェームズ・C・コリンズ、ジェリー・I・ポラス共著)に感銘を受け、歴史に残るサービス、会社をつくってみたいと思うようになりました。
そのようなタイミングで、ある人物と出会います。その方は外資系の証券会社でトップセールスとして活躍し、MBA取得のために米国に渡り最新の金融サービスを学んで帰国したばかりのときに知り合いました。
意気投合して共同で創業した会社が、私の初めての起業であり、経営者の第一歩です。その事業は当時日本にはなかった IFA(※)を業界に先駆けて始め、私自身は経営が軌道に乗ったころに退任しましたが、現在ではIFA分野のリーディングカンパニーとなり、2024年には上場を果たしています。
※IFA(Independent Financial Advisor)…既存の金融機関からは独立した事業体系、経営方針を持ち、中立的な立場から顧客に金融のアドバイスをおこなう職種・業態のこと
その後は経営課題をクリエイティブで支援する、現在でいう「デザインコンサル」を手がけていました。そのころオシロの共同創業者にもなる四角大輔氏と知り合います。当時、四角氏はミリオンセラーを連発していた音楽プロデューサーを引退し、ニュージーランドへと移住する直前でした。
私は四角氏のクリエイティブパートナーとして独立後の仕事を手伝いつつ、ニュージーランド愛に触れる毎日で(笑)。その圧倒的な偏愛ぶりに、私もすっかりニュージーランドに魅了されてしまったんです。それからというもの、私自身も日本とニュージーランドを行き来する日々が始まりました。
正直、その時は本気でニュージーランドに移住しようと考えていました。現地での生活の居心地がよかったこともあります。
しかし、日本とニュージーランドを行き来している日々のなかで、徐々に後ろ髪を引かれるような思いが胸の内を占めるようになっていることに気づきました。それは、日本の未来への想いでした。アジア周辺国の勢いは感じられているのに、日本には技術はあるものの停滞感から脱しきれていない。
一方で欧州は経済から芸術に舵を切り、しっかりとプレゼンスを保っています。私は日本が今後も技術で発展してほしいと思いつつも、欧州のように芸術文化でプレゼンスを保てる国となれば、新たな活路が見いだせるのではと漠然と考えていました。
そんな想いを行動に移すきっかけは、思いもよらないタイミングで起こりました。いつもと同じように、ニュージーランドへと向かおうとした時、飛行機に乗れなくなるという事件が起きるのです。
このとき「おまえは日本を芸術文化大国にしなさい」という言葉が、まるで天から降ってきたように頭から離れなくなりました。断れなかったこの事象を、私は「天命」を授かったと思っています。これまで霧がかかったようにぼやけていた視界が鮮明になり、自身の「天命」を果たすこと以外は頭から消し飛んでしまうほどでした。
そうして、当時考えていたニュージーランドへの移住よりも、日本に留まり天命を全うすることに決めたんです。






